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vol.5 嵐を呼ぶお父さん その五「たき火」
vol.4 嵐を呼ぶお父さん その四「父親友達」
vol.3 嵐を呼ぶお父さん その三「祖父と父と私と息子」
vol.2 嵐を呼ぶお父さん その二「肝試し」
vol.1 嵐を呼ぶお父さん その一「逆飛び込み

vol.5嵐を呼ぶお父さん 「たき火」
福丸 哲さん
 今はたき火を見なくなった。「垣根の垣根の曲がり角〜」好きな唱歌の一つだが今の子ども達はイメージがわくだろうか?
 昔からたき火は好きだった。火を見ていると時間がたつのを忘れてしまう。人は火を使うようになったことが、大きな進化の一つだということを聞いたことがあるが、自分の中の原始的な部分をくすぐられるのだろうか?

 今は規制で「たき火」自体が町では見られなくなった。たき火をやろうと思うと人家のないところを選ぶしかない。
 たまたま、間借りしている山小屋が条件に合致しているので、
                         よくたき火をする。

 最初に、たき火をした時、子どもはすっ飛んできて、「うわーっ、火が燃えている!」と叫んだ。その時に、そうか彼らは火を知らないのだ、と思った。彼らの目にする火はスイッチを開けば炎が出るコンロぐらいしか今は身の回りに無い。火も、コントロールできるモノの一つになっているかもしれない。実際の炎はとどまるところを知らないように見える。少ない木切れなら、チョロチョロした炎だが、たとえば燃えやすい古新聞や段ボールなどを、投げ込むと爆発的に炎があがる。それがまた、子どもたちの興奮を呼ぶ。「もっともっと」と言いながら自ら走り回って枯れ枝などをかき集めてくる。

 例のごとく黙って見ていると、下の子が木切れを投げ込もうとして、見えにくい青い炎に手をかざしてしまい「熱っ!」と声をあげる。しばらく手をさすりながら、茫然と炎を見つめる顔が、「炎というのは侮れない」という心情をよく表している。しかし、たくましいもので、炎の上に手をかざすと熱いが、側方からなら、かなり炎に近づくことができると解ったようで、いつまでも炎が小さくならないように、燃料(木切れや、段ボールなど)を、今度は正確に火元に投げ込んでいた。

 おまけだが、言い渡してあった私の禁止事項の、周りに大人がいないにもかかわらず、子どもたちだけでたき火をいじった時には、拳骨をプレゼントした。
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